空点描、三島由紀夫を思う

2020年11月28日土曜日

三島由紀夫 森田童子

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11月25日で三島由紀夫が割腹自殺をしてから50年が経った。年代的に私は三島由紀夫に直接触れてはいない。もし、三島の生きた時代を過ごしていたらまた違う感情だったのだろう。自衛隊の駐屯地で総監を人質にとり、バルコニーから自衛隊員に向けて決起を促す演説を行い、聞き入れられないと分かると割腹自殺した。こんな大それたことをする人間は後にも先にも三島由紀夫しかいない。私が三島と同時代を生きていたら心酔していたと思う。

好きなミュージシャンをあげると、ただ1人、森田童子と答える。好きな小説家をあげるとすると、三島由紀夫だ。といって小説家に関しては谷崎潤一郎、江戸川乱歩、川端康成など結構多い。森田童子と三島由紀夫に共通点があるとすれば、時代が近いということくらいだろうか。三島が割腹自殺をした数年後に森田童子は歌い始めた。いや、その終わり方に共通点がある。三島は自らの手で人生の幕を閉じてしまったけれど、森田は歌うことをきっぱりやめて二度と表に出てくることはなかった。私は未練がましい人間なので二人の潔さに憧れる。

三島由紀夫は何がしたかったのだろう。小説だけを書いていればいずれはノーベル文学賞の受賞の可能性はあったし、今以上に評価されたはずだ。自らの富や名声、表現以上に日本を憂いていたということなのかもしれない。三島は身体も鍛えていたようだけど、思想もマッチョだ。戦争に負け、軟弱になった自衛隊、政治、日本を許せなかったのか。

三島由紀夫を知るには「憂国」を読めばいいと本人が書いていた気がする。短編ではあるけど、結局は憂国の主人公と同じように本人は自決してしまうのだから、様々なものが詰まっているのだろう。50年前の11月25日に自決することが三島の美意識だったのかもしれないけど、もっと沢山の作品を残して、発言していってほしかった。

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