空点描、アイヌ民族への侮辱発言から考える

2021年3月22日月曜日

差別

t f B! P L

▽テレビ番組でアイヌ民族を侮辱するような発言があったとして波紋が広がっている。テレビを見ていないのでインターネットで情報を得る程度なのだけど、お笑い芸人がアイヌの女性を扱った映像に対しての発言が問題を引き起こしたらしい。

この作品とかけまして動物を見つけたととく、その心は、あ、犬

アイヌの人を犬に例えたわけだけど、先日もオリンピックの演出でタレントを豚に例えようとして問題になった。昔だったら笑いを取る常套手段としてあり得たのかもしれないが、最近は人を傷付けるような発言や行動はしないということが当たり前になってきている。黒人を真似る際に顔を黒塗りにすることも今ではアウトなので、ラッツ&スターも現代なら同じ格好では活動できない。

人を傷付けるような発言、行動をしてはいけないというのは、よくよく考えれば当たり前のことだ。けれど、誰も傷付けないことはなかなか難しく、褒めたつもりでも当人にはコンプレックスかもしれない。表現の分野でもあいちトリエンナーレの件で顕在化したけど、意図していなくても傷付き、憤慨する人もいる。私は写真を撮る人間だけど、誰かには撮られたくない写真を撮っていると思う。表現の自由というのも、何をしてもいいというわけではない。何もしない、何も発言しないこと正解なのだろうか。

埼玉で暮らしていると、アイヌの人々と関わることはあまりないし、歴史として学校できとんと教わらなかったと記憶する。それは今回のテレビ局の対応の悪さで明白だし、北海道出身のパーソナリティも指摘されるまで問題だと思っていなかった。これは大変問題なことで、我々はアイヌの人々から北海道を奪い取ったとしっかりと認識しなければいけない。奪い取っただででなく、長年差別の対象であったし、それは今でも続いている。中国が少数民族を弾圧していると注目が集まっているけど、日本だってアメリカだって同じようなことをしてきたのだ。アイヌだけではなく沖縄にも同じことがいえる。今回の問題発言を契機に、改めて歴史を学びたい。

ブログ アーカイブ

このブログを検索

QooQ