▽近所を歩いていると大きな桜があった。数日前に雨が降っていたので花は散ってしまったらしい。それにもう葉が出てきているので見頃はとうに過ぎていたのだろう。とはいえ、まだまだピンク色に染まるその姿は華やかだと思える。最近、夢窓疎石という人を知った。鎌倉時代から室町時代にかけての臨済宗の僧で、現代で言う芸術肌な人のようで多くの和歌や庭を残している。
誰もみな 春は群れつつ 遊べども 心の花を 見る人ぞなき
春というのは現代に生きる我々も、鎌倉や室町という時代に生きた人も、花見だなんだと見目麗しい桜の花に心踊らされている。けど、そのような見た目が派手で、刹那的な桜の花より、心の中に咲くような美しい花を愛でる人はいないのか。夢窓疎石の嘆きが聞こえてくる。
盛りをば 見る人おおし 散る花の あとを追うこそ 情けなりけり
この歌も言及はしていないけど桜の花だと思う。上の歌と同じように花が咲き誇る時期は持て囃すけれど、散った後の木々に思いを巡らす人は多くない。散った後のその本質的な美を理解出来る者こそ情け、他人をいたわることができ、いわゆる人情や愛情を持っていると夢窓疎石はいう。
なるほど、言いたいことが痛いほど分かる。木々は花が咲く時期だけのものではない。緑色の葉に茂っている時、葉が落ちて寒々としている時、それぞれに見るべきものがある。そんなことは何度も書いてきたのだけど、もっと想像力を持てば違う楽しみ方が出来るかもしれない。常に桜の木に満開の花のイメージを持つことが出来ればとても豊かな毎日だ。木々の見たままの姿を受け入れてきたけど、様々な季節の姿を思い浮かべて楽しみの幅を広げてみようと思う。