▽8月8日でオリンピックが終了したので、あれこれ文句を書いていこうかと思ったのだけど、何度も取り上げているので今更感がある。結局、一切見ない聞かない読まないというオリンピックボイコットは完遂した。だから何だという気はするし、ラジオでもいちいちメダル獲得情報を差し込んでくるし、ニュースでも扱うし、NHKニュースやスマートニュースなどでもオリンピックの話題ばかりなので、意外と知ってしまっている。
毎回思うけど、日本人がメダルをいくつ取ったという情報は必要なのだろうか。アメリカ人は他国の選手にまったく興味がないらしいけど、日本人が同じようにナショナリズム的精神を宿しているとは思えない。そもそもオリンピックというのは国と国の垣根を取り払うものだ。自国の選手だけを応援するのは筋が違う。もう一ついうと、東京オリンピックを主導しているのは日本国ではなくあくまで東京都なので、政府が前のめりになる必要はない。
そうなると、復興五輪という掛け声もただのこじつけだ。日本全体で考えれば大変な被害を受けたので復興を掲げるのは分かる。けれど、やはり東京オリンピックは東京都が主導するものなので、始めから中身はすっからかんなスローガンだったのだろう。何も「レガシー」
を残すことはなかった。そう考えると日本全国を聖火リレーが巡るのも意味が分からない。
東京オリンピックが残したものといえば、莫大な借金だろう。チケット収入はなく、海外客もこれない状況で経済も潤うことはなかった。このオリンピックの経済効果はかなりあったという記事を見かけたけど、どんな計算をしたらそうなるのだろうか。東京都民の税金が使われてきたけど、賄えない部分を国が負担することになれば、日本国民全体の負担になるわけで、東京オリンピック、なかなかに罪深い。
脈絡なく書いてしまうけど、オリンピックで日本人の活躍が伝えられ、多くのメダルも獲得したようだけど、気になるのは見えない部分だ。オリンピック施設建設で立ち退きを迫られた住人や、排除されたホームレスの方々もいただろう。メダルを取るような活躍した選手は成功者なのだろうけど、戦いに負けた人たちはそれ以上に多くいるし、オリンピックに出場することが叶わなかった選手もそれ以上にいる。我々が応援すべき対象は成功者ではない。もっといえば頑張っているのはスポーツ選手だけではないのだ。
オリンピックは平和の祭典だと標榜している。確かに、国境を越えたドラマを見せてくれる瞬間はあるのだろうけど、やはり勝ち負けの世界で悲しい思いをしている人がいる。そもそも勝ち負けを競い、順位や点数を争うスポーツが平和を象徴しているとは言い難い。富める者は際限なく富み、貧困にあえぐ者はとことん落ちていくような社会をオリンピックが反映しているのか、逆にオリンピックが煽っているのか。いずれにせよ勝ち負けをはっきりさせるのがスポーツだ。この意味でもオリンピックは歓迎できない。
さくっと終わらせるつもりがグダグダ書いてしまった。COVID-19がかつてない規模で広がりつつあるけど、パラリンピックは開催するのだろうか。現在のオリンピックは廃止して、パラリンピックをオリンピックと改称することを改めて提言しておく。