ツイッター雑感

2022年2月7日月曜日

SNS

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▽自分のツイッターのプロフィールを見てみると、2010年2月から利用を始めたそうだ。何かの気の迷いで一度アカウントを削除しているので、その何年か前に始めている。インスタグラムやフェイスブックもそうなのだけど、SNSはアカウントの削除をしてしまうあまりよろしくない癖がある。今はツイッターしかSNSは利用しておらず削除の予定はないので、フォローしていただいている方は引き続きお付き合いいただきたいと思います。まだの方はフォローを!


最近は日々探し回っているニュース記事にコメントする形で意識的にツイートを多くしている。ジャーナリストの佐々木俊尚さんの真似なのだけど、沢山の記事をブックマークするだけでは埋もれていってしまう。このブログで時々触れてはいるのだけど、全然追いついていない。個人的に気になる記事だからブックマークしているので、誰かにも有意義な情報かもしれないと思ってツイートしている。まあ、大概は皆様のタイムライン汚しになっているのは申し訳ないところ。

ツイッターというのは短文投稿サイトと形容されるように、140文字の文章しか投稿できない。ブログを毎日書いている人間からすると、拷問かと思われるような制限だ。140文字で考えを伝えることが出来るのか。こうしてだらだらと書いているけど、短い文章ですべてを伝えることができるなら、それにこしたことはない。短歌や俳句はもっと少ない言葉での表現なので人によってはツイッターの140文字で十分と思っている人もいるはずだ。私は写真を撮っているので、言葉すら不要な場合もある。

お笑い芸人のプチ鹿島さんはツイッターを「脳のおなら」と定義した。これをどう捉えるかは人それぞれだけど、どうでもいいようなことを思わず呟いてしまうくらいの付き合い方がいいのかもしれない。そうは思うのだけど、140文字で何か伝えることが出来るのか、その実験として意識的にツイートしているのが現在。一つ確信しているのは、ツイッターで議論はできないということだ。これも上手な人はいいのだろうけど、やはり140文字の制限はきつい。不毛なやりとりになっているのを見かけると、プチ鹿島さん的にあまり期待せず「脳のおなら」くらいの利用にしておけばいいのにと思う。

ツイッターへの投稿を多めにしてみて収穫があったのかというと、思考や言葉の訓練になっているような気がするようなしないような、曖昧。たまにコミュニケーションが生まれたり、やたらとリツイートされることがあるのは面白い。まだ続けていくつもりなので引き続きお付き合いくださいませ。

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