ウィル・スミスの平手打ちから暴力を考える

2022年3月30日水曜日

戦争

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▽私は完全なる平和主義者ではない。この世界から核兵器がなくなってほしいと心から願っているし、すべての軍隊の武装解除も望んでいる。核兵器の廃絶は今回のロシアの態度や、北朝鮮の挑発行為を鑑みて、今後の人類の努力でどうにかなるかもしれない。ただ、核兵器ほどではないにしろ、大量殺戮ができる武器は既に存在している。もしかしたら核爆弾より強力な兵器の登場もありうるし、生物化学兵器の存在も厄介だ。近代的な兵器が世界中からなくなっても刀や弓で人は戦うだろうし、武器がなくても拳で殴り合う。あらゆる肉体的な暴力がなくなっても口論し罵り合うことはきっとやめない。人というのは争わなければ生きていけないものなのだろうか。

「妻の名前を口にするんじゃない」などと強い口調で叫んだウィル・スミス。クリス・ロックは、「『G.I. Jane』のジョークだったんです」などと弁明。

もしも日本がロシアや北朝鮮、中国に攻められたら、我々はウクライナ国民のように戦うのかを考えていた。その答えをまだ持ち合わせていないし、私自身がどう動くかのも分からない。そんな中、アカデミー賞の授賞式でウィル・スミスがプレゼンターに暴力を奮ったというニュースが飛び込んできた。ラジオやインターネットではセンセーショナルに報じている。暴力は絶対的によくない。それは大前提としてもウィル・スミスを責める気が起きないのはなぜだろう。私が暴力を肯定するような人間というわけではなく、日本人の傾向としてウィル・スミスを擁護する声が多いようだ。そもそもプレゼンターがウィル・スミスのパートナーをネタにして笑いをとろうとしたことに原因がある。このような笑いのとり方が受け入れられているアメリカではウィル・スミスを非難する声が多い。わりと暴力的なイメージがあるアメリカ国民、といっては失礼だろうけど、どんなに罵られても暴力は駄目ということか、ウィル・スミスが嫌われているのかどちらかだろう。

正解としては平手打ちをするのではなく、その場で抗議の声をあげるべきだった。聴衆と一緒になって笑っていればパートナーとの関係がまずくなったかもしれない。どちらにせよ何らかのアクションを起こさなければいけなかったし、そうとはいえ暴力に訴えることはどんな状況でもしてはいけなかった。プラスに考えれば今回のことで賛否両論が噴出したことを契機として、暴力は駄目ということは言うまでもなく、人をネタにして笑いをとるようなことの是非も考えいくべきだ。私も暴力を否定していかなければいけない。

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