海点描、キレイな海、キレイな川とは

2020年12月2日水曜日

環境

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▽理想的な川、海というのはどんなものだろう。美しい海はどこかと問われれば、沖縄の海を思い出す。真っ青で透き通った海は関東近郊で見る海とは一線を画していた。そんな沖縄の海に惹かれて通っていた時期がある。機会があれば本島でも離島でもまた訪れてみたい。飛行機は乗りたくないので船で。

人間からしてみたら沖縄の海は理想だ。けど、海に暮らす生物にとってはどうなのだろう。プランクトンが沢山いて栄養豊富な海のほうが当然暮らしやすいので、そうなると透き通った澄んている海よりはもっと汚れているほうがいいかもしれない。

海の栄養は川から運ばれてくるので、土砂崩れのような人間には厄介な出来事も川や海にとってはプラスになる。現在の多くの川はコンクリートで囲まれてしまっているのであまり栄養が流れ込まない。これは海も同じだけど、魚が住処にする隙間も奪ってしまう。なので現在の日本の海や川は生物にとっては暮らしにくい環境といえる。

では、コンクリートを壊して土の護岸に戻し、植物が自然に繁殖する環境にすればいいのか。そうなれば川や海だけでなく陸地の自然も回復する。けど、それは生物が喜ぶだけで、大雨などの影響などで洪水の危険性は増してしまう。その大規模な洪水さえも人類は農業に利用してきた歴史もあるし、現在もそうしている地域はあるけど、現代の日本に洪水を利用しろというのは無茶な話だ。都市部の川の周りは住宅が密集してしまっている。

数十年前までの日本の川は工場排水の影響もあって大変汚れていた。様々な環境汚染を引き起こし、現在はキレイな川に戻りつつあるけど、生物にしてみたらキレイになりすぎてしまっている。これを問題視して環境省が意図的に川に栄養を供給しようとする動きがあるようだ。何もしないよりはいいとは思うけれど、かつては里山だった雑木林でいえば年に1度か2度間伐をするようなもので抜本的な解決には繋がらない。

里山とおなじように里海とか里地という言い方もするけど、それは人間が自然に介入しつつ共存していくから成り立つわけで、暮らしと切り離されていたらそれはただの林であり海だ。私が生まれ育ったのは所沢なので川や海のことはあまり分からないけれど、積極的に生活に組み込むことで豊かさを維持できるのではなかろうか。

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