空点描、震災を経験した先にある社会を考える

2021年3月14日日曜日

原子力発電

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▽最近は震災とか原発のことを書いてきたけど、最後にどのような社会、町づくりを目指すべきなのか考えたい。

まず、原子力発電に関しては本当に安全なら再稼働させていけばいいと思っている。例えば、何キロも穴を掘って地下深くに原子力発電所を作るのだどうだろう。もし事故があっても、地上まで放射能が溢れ出さないくらいの深さなら許容できるかもしれない。もしくは事故が発生してすぐにコンクリートなどを流し込んで施設ごと固めてしまうとか。どこまで技術的に可能なのかは分からないけれど、現実的ではないような気がする。地上に建設すれば地震や津波だけでなくテロの驚異もあるのでやはり原子力発電のない社会のほうが望ましいように思う。

そもそもなぜ原子力発電に頼らなければいけないのか。原状では再生可能エネルギーだけで日本全国の電力需要を賄うことはできない。火力発電も二酸化炭素の排出を考えて世界的に削減傾向にある。安定的な電力供給も必要となると、原子力発電を容認し、推進しようとするのも分からないでもない。見方を変えると、原子力発電に頼らなければ維持できないのが我々の社会だ。火力で賄う場合は地球環境を破壊し、紛争やマネーゲームを引き起こしてしまう。だったら膨大な電力を必要としない社会を目指す方法もある。超高齢化、少子化、人口減少という日本社会では必然的に経済力は落ちていく。それなら経済大国という刹那の栄光はさっさとかなぐり捨て、自然とともにスローな生活を送る選択をしてもいいと思う。

津波の被害を減らすために、東北ではバカでかく長大なコンクリートの防潮堤が作られている。本当にこのような設計の仕方でいいのだろうか。自然というのは人間の思惑など簡単に乗り越えていく。本気で津波を防ぐなら高さ20メートル以上で万里の長城のごとく海岸を埋め尽くすくらいの防潮堤が必要だ。現実的ではない。岩手県宮古市の防潮堤は東日本大震災と同レベルの津波より低く建設されている。理解の出来ないことをしているし、きっと原子力発電所の見積もりも甘く見積もられているのだろう。気仙沼市では海が見えなくなるからと2メートル低く防潮堤が作られた。何か起こりそうならすぐ逃げる、それでいい気がする。

東日本大震災で価値観がガラリと変わった人は多いはずだ。私も自然をより踏み込んで愛すようになったし、野菜も作り始め、こうしてブログで発信を続けている。10年を節目とするのは好きではないけれど、より前に進む契機にしたい。

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