雑草という言葉は使わないようにしています

2021年9月6日月曜日

自然

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▽9月5日の日曜日。久しぶりに雨のない1日だった。といってタイミングを逃して畑に行くことはなかったので、相変わらずモヤモヤが続いている。そろそろ雨続きな日々は終わりを告げるのかと思いきやそうでもないらしい。月曜日の日中の天気予報は雨傘マークがずらりと並んでいる。決定的な畑チャンスを逃した気がしてならない。きっと畑は野菜には迷惑な草が主がいないのをいいことに、我が世の春とばかりに旺盛に背を伸ばしていることでしょう。

人混みを避けるため、遠出せず、近所の散歩を日課にしている人も少なくないはずです。 そんな時、道端の雑草たちを観察してはどうでしょう。よ...

東京新聞の5日付けの社説に目が留まった。前にも書いたけど、雑草とか雑木林という言葉はなるべく使わないようにしている。私はまったく詳しくはないけど、植物にはそれぞれ名前が付いているわけで、雑草という名前の草はない。同じように雑木林というのも、人間が有効活用していないだけで雑木呼ばわりするのは失礼な気がする。なので草とか林と呼ぶようにしているのだけど、といってそれぞれの名前を覚えるつもりはない。その名前も勝手に人間がつけたものなので、植物に心があるならきっと迷惑だと思っているはずだ。草や林というのも適切ではないのだろうけど、他に適切な言葉がないので使っている。

そのようなわけで、雑草という言葉をみると違和感を覚えるのだけど、東京新聞の社説は我が意を得たり、そんな内容だった。

そもそも「雑草」という草はありません。名前をよく知らない草を、ひとまとめにこう呼ぶのですから、失礼な話です。

なるほど、その通りで何の反論もありません。雑草は弱い植物という指摘も面白い。確かに、畑をしていると次から次へと季節に適した草が生えてくるので、強い植物だと思ってしまう。けど、あらゆる場所に生息域を広げているかというとそんなこともない。それぞれ日陰を好む、日向を好む、乾燥してる場所を好む、湿った場所を好む、高山地帯を好む、低地を好む、記事で紹介されているようにオオバコは踏まれるような一見植物に不利な場所を好む。私が植物から学ぶことといえば「みんなちがって、みんないい」ということかしら。適材適所、無理せず生きていきましょう。

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