▽武蔵村山市の歴史民俗資料館で面白そうな展示をしている情報を得たので早速足を運んできた。自宅からはスーパーカブで30分ほどで着いたのだけど、もしも足がなかったとするとどう行けばいいのだろう。
立川駅、箱根ヶ崎駅、東大和市駅からバス、「横田」下車徒歩10分
上北台駅からバス「村山温泉かたくりの湯」下車徒歩1分
バスでの乗車時間や本数がどれくらいあるか分からないけれど、自宅最寄りの西所沢駅からだと1時間以上かかると思われる。歴史民俗資料館は狭山丘陵にかなり食い込んでいて、駅からは遠いのだけど、1番の最寄りは西武線の武蔵砂川駅で距離は直線で4キロくらいだろうか。グーグルマップで歩くルートを検索してみると1時間ほどかかるらしい。歴史民俗資料館が僻地すぎるんだろうと思いきや、武蔵村山市役所でも徒歩で45分かかる。回りくどく書きましたが、武蔵村山市には鉄道が走っていないのです。
今回の歴史民俗資料館での展示タイトルは「武蔵村山と鉄道-明治から令和まで-」。武蔵村山は東京で唯一鉄道が通っていない市として一部ではよく知られている。それなのに鉄道に関する展示をするというのは変な話だ。けれど、将来的には多摩都市モノレールが上北台から延伸して箱根ヶ崎に至る計画がある。前向きに進められているようなので、いつになるかは分からないけれど実現はするのではなかろうか。そうなれば武蔵村山市民の悲願が叶うとあってとても喜ばしいことだ。かつて、何度となく武蔵村山を通る鉄道計画が持ち上がっては消えていったという歴史がある。どんな計画があったのか?それが今回の展示で紹介されている。
実際には多摩湖と狭山湖の建設用に鉄道が敷設されてはいたのだけど、それはあくまで資材の運搬用で市民の足ではなかった。明治時代に計画されたのは阪東鉄道。八王子から群馬県の桐生、大間々を結ぶ鉄道で、今となってはその必要性が理解できないけど、群馬から八王子、横浜へと絹を迅速に運ぶ目的があったらしい。大正時代には村山軽便鉄道。これは箱根ヶ崎から吉祥寺を結ぶ路線で、当時は八高線も西武拝島線もなかったので、周辺住民は非常に期待したと想像する。昭和に入っては武州鉄道。これは吉祥寺から武蔵村山、青梅を通り、さらに北上して秩父までという壮大な鉄道路線だ。西武線との競合、不正事件があり話はなくなってしまったそう。さらに西武線延伸の要望もしていて、これが武蔵大和駅を起点に武蔵村山を通るルートで、採算がとれないとの判断で実現はしなかった。まあ、当然ですよね。
会場ではこのような歴史がパネルで紹介されている。実現しなかった計画ばかりなので、資料や情報を集めるのは大変だったと思う。私は武蔵村山市民ではないのだけど、ここに何らかの鉄道が建設されていれば、今とは随分と違った環境になっているはずなので、非常に面白く展示を見ることが出来た。展示風景は写真を撮ることが出来ないのだけど、図録が販売されているのでオススメしたい。私は買い忘れてしまったので少し後悔している。図録だけ買いにいこうかしら。
令和3年10月23日~令和4年1月16日
1月3日まで休館
9時~17時
武蔵村山市立歴史民俗資料
東京都武蔵村山市本町5丁目21-1