雨の日、死刑、雑記

2022年7月27日水曜日

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▽休みの日は、雨。どうにも雨が降っていると外に出かけようと思えません。傘を差せばいいだけなのに、なんとも面倒くさがりな性格です。そういえば、先日飲み歩いていてどこかに傘を忘れてきてしまいました。ビニール傘くらいのストックはあるような気がしますが、やはり雨が止むのを待っています。こうしてブログの記事を書いているのは12時を少し過ぎた時間。夕方には雨は止んでいるはずなので、ゴロゴロと過ごしてどこかに出かけましょう。

休日というのはダラダラ過ごすものです。出かけるのに億劫な雨ですが、畑には恵みの雨で、そろそろ降ってほしいと思っておりました。畑の野菜たちは喜んでいることでしょう。ついでに厄介な草たちも。まあ、面倒ではありますが、草を刈って敷いておけばいろいろと助かることがあります。そのうち土に還って栄養になりますし、新たな草の抑制、暑さから乾燥を防いでくれるでしょう。そろそろ8月。秋の気配が見えてきました。

▽7月26日の午前中、平成20年に秋葉原で無差別殺傷事件を起こした犯人の死刑が執行されました。7人の命を奪い、10人に重軽傷を追わせ、世間を大いに賑わせた事件です。その被害者の多さから極刑は仕方のないことなのかもしれません。私が死刑には反対だと言ったところで、現状は変わらないでしょうし、死刑に代わる何かを提案することもできないです。ただ、犯人を死刑にすれば事件が解決し、全てが終わったと言えるのでしょうか。それなら死刑にすることなく罪の意識を植え付け、死ぬまで懺悔し続けさせることでもいい気がします。

もっといえば、この死刑で事件に蓋をし、片付けてしまってはいけません。秋葉原の無差別殺傷事件の後にも凶悪な事件は度々起きています。近くでは安倍晋三元首相が殺害されました。放火事件、障害者施設での大量殺人など、海外の事件も含めれば枚挙に暇がありません。なぜ、凶悪な事件を引き起こしてしまったのか。その背景には犯人の凶悪性だけではなく、社会にも何か問題があるのではないでしょうか。

犯人に寄り添うというのもあまり気持ちのいいものではないですが、事件を起こそうと思わないような、誰も置き去りにしない社会が理想です。ええ、ただの理想論と言いますか、脳内お花畑と言われても仕方ありません。けれど、社会から隔絶され、孤独を抱え、絶望の縁に陥ってしまうことは誰にでも起こりうることです。私ものほほんと生きてはいますが、どこかで追い詰められ、その結果タガが外れ、彼らのような凶行を犯してしまわないかと不安でなりません。もっと優しい社会といいますか、包摂し、包摂される社会であることが誰にとっても望ましいのではないでしょうか。まあ、自分視点でしかありませんが。

13時、雨はひとまず止みました。

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