▽先日、カメラが欲しいという記事を書きましたが、また別の視点で撮影をしてみたいという気持ちがあります。今回アップした3枚の写真はフィルムで撮りました。世代的にはフィルムが当たり前の時代を長く生きていますが、これはそう古い写真ではありません。林と田んぼなので撮っている被写体は今と同じです。特に深い意味はないのですが、デジタルカメラではなくフィルムカメラのほうがなんとなくしっくりくるような気がしています。フィルムカメラの時代を生きていない若者にはデジタルが当たり前なのでしょう。けれど、私にはやはりフィルムのほうが馴染みがありますし、デジタルをあまり信用していません。当然ですがデジタルは物ではなくデータです。SDカードやパソコン、ハードディスクが壊れてしまったらもう何も残りません。今までに何度かデータの喪失を経験しました。ですので今ではパソコンだけに保存することはありません。外付けのハードディスク、それも2台に同時に保存しています。面倒ではありますが、データが消えることをなんとしても回避しなくてはいけません。
といっても、フィルムは手にできる物ではありますが、火事にでもなれば燃えてしまいますし、劣化もしていきます。データの消失と同じようにフィルム、写真は世の中から消えていきました。どちらにも一長一短がありますし、紙にプリントしてしまえばデジタルもフィルムも関係ありません。このブログやSNSに写真をアップするだけではただのデータですが、プリントして個展をすると物としての価値が創出できます。なので個人的にはデジタルでもフィルムでも構わないのですが、故郷の変わらない風景を撮るには100年以上前からあるフィルムのほうがしっくりくる、その程度の理由です。
もう一つ付け加えるとすると、今回の写真はフィルムというだけでなくピンホールカメラで撮りました。デジタルでもフィルムでもレンズを通して一瞬で眼の前の景色を写し取ります。けれど、レンズのない穴しか開いていないピンホールカメラは何秒も何十秒も、時には何分もシャッターを開き続けなければいけません。被写体と対峙するのに、この無駄とも思える時間は重要な時間となるのではないでしょうか。そう思いつつ、フィルムで撮ることを躊躇させる理由があります。