ほころぶ、雑記

2021年2月23日火曜日

ほころぶ

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▽書くことがない。そんなことがたまにあるのだけど、久しぶりな気がする。書くことが何もないなら書かなければいいじゃないか。それも思うのだけど、毎日更新することを10年以上続けてきた。今さら途切れさせてしまうのはもったいない。もし、このブログの更新が止まった時はきっと私に何かあった時だ。例え私が死んでも、そのお知らせはないと思うので、察して下さい。最後の挨拶くらいはしたいけど、それは神のみぞ知ることだ。そう考えると、ガンになって少しずつ迫りくる「死」というのも、周りの人に別れを言えるので悪いことではないように思えてくる。恐ろしいことだけど、死に向き合う、死を受け入れる時間も私としては欲しい。

死といえば、理不尽に殺害されてしまった人のことを考え、涙が出てきそうになることがある。他人のことで何を感傷的になっているのかと思うけど、まあ仕方ない。その現場に赴いて花を供え、手を合わせれば被害者に何か届くだろうか。いや、そこに亡くなった方はいないし、魂なんてものがあるとは思えないのだから、残されたもののただの自己満足で自己救済だ。

悲しい出来事をニュースとして取り扱うだけで終わらせるのではなく、何か表現として形にできないかと思う。歴史に残るような悲劇的な出来事が起こった場所を、風景写真のように撮っていく写真家がいた。私が社会にとってすぐに忘れ去られてしまう事件が起きた場所に行って、写真を1枚撮ってきても何にもならない。ピンホールカメラでその場で何時間も露光して1枚の写真に仕上げてはどうか。あまり意味がないような気がする。

悼む人という天童荒太の小説があったけれど、とても好きな小説だ。かなり影響を受けているかも知れない。悼む人でありたいと思いつつ、誰かに悼まれたいと思っている自分がいる。

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