▽私は風俗が好きである。こう書き出すと、日常的な風習を追いかけている学者のようで賢い気もするし、いかがわしいお店に足繁く通う男のようでもある。それは対局にあるようで、いかがわしいサービスも日常に寄り添うものであるし、大昔から存在する文化でもあるので、そうかけ離れているものでもない。私のいう風俗というのは、いかがわしいお店のある町を見て歩くのが好きという意味だ。気に入った店に入るわけでもなく、ただただ見て、好きあらば写真を撮る。昔はよく泊りがけで地方都市に出向いて、夢遊病者のように寂れた町をさまよい歩いていた。私が赴く場所で賑やかな風俗街というのはあまりなく、どこか物悲しい雰囲気が漂っている。東京や大阪などの大都市にあるそれならさぞ賑やかなのだろうけど、そういったものにはあまり興味をそそられない。
かつて足繁く通っていた沖縄も栄枯盛衰が激しく、すっかり寂れてしまった町が多く、それがどこか愛おしく感じられて、年に一度飛行機で向かい、何日もかけてさまよい歩いた。印象的だったのはコザ周辺で、竹中労の「「赤線」とは何であったか?」でもコザの特飲街の話が出てくる。1972年の買収防止法の施行後、見せしめ的に年増の娼婦が摘発されるエピソードなのだが、21世紀にもなれば春を売るようなお店はほとんどない。私が通っていた十数年前にはいくつか残っていたけど、まだあるのだろうか。
この赤線本で書かれているように、日本のあちこちに私娼窟、売春街はあり、多くの女性が働き、男性は通った。所沢でも最近まで遊郭跡が残っていて、歴史の中に確かに存在していたのだけど、あまり語られることはない。川越にも喜多院の裏や蔵造りの町の少し先に遊郭街があり、まだ面影を見ることができる。なぜ、かつては賑やかで、現在は寂れてしまった場所に惹かれるのだろう。昭和も後半生まれの人間にとって赤線なんて遠い過去の話で、思いを巡らせるしかないのだけど、赤線本に収録されている作品で描かれているように、確かにそこに人々が生きていた。性、金、悪、暴力、そして愛や情と剥き出しの人間の営みがあったと思うと、例え寂れ跡形もなくなろうとも愛さずにはいられないのです。世の中から闇の部分が排除され、あらゆる物や人がクリーンでいることを求められる現代。どこか窮屈さを感じてしまうのは私だけだろうか。