▽1月に核兵器禁止条約が発効された。日本は国際条約である核兵器禁止条約に署名もしていないし批准もしていない。私としては核兵器はこの世界からなくしたほうがいいと思っているので、日本政府の対応には憤りを感じる。核兵器を廃絶できない様々なしがらみがあるのだろうけど、あまり理解出来ていない。
記事を書いた直後、この本を見つけたので読んでみることにした。著者の1人、ウィリアム・J・ペリーはカーター政権で国防次官、クリントン政権で国防長官を務めた専門家なので核兵器だけにとどまら国防に精通している。 もう1人の著者のトム・Z・コリーナも民間という立場で軍備に関わり専門家といって間違いはない。というわけで著者2人はアメリカ人なので、アメリカの視点でこの本は書かれたものだ。ロシアからの視点だとまた変わってくるのかもしれないが、いってしまえば核兵器はアメリカとロシア、かつてのソ連との問題だ。日本はアメリカの同盟国ではあるけど蚊帳の外といっていい。
広島と長崎で原子爆弾が使われたことからアメリカとソ連の核開発競争は始まった。ピーク時にはアメリカで1960年代に3万発以上、ソ連は1980年代に4万発以上を保有している。この核兵器は広島、長崎に落とされた原爆より遥かに破壊力のあるものだ。幸いなことに現在は削減傾向にあり、アメリカ、ロシアとも6千発台になってはいる。けれど、これでも打ち合えば地球の環境を激変させるには十分な数だ。イギリスの200発、フランスの300発、中国の300発でも十分破滅的だし、北朝鮮も20発から30発持っているとされている。
部分的核実験禁止条約、核拡散防止条約、弾道弾迎撃ミサイル制限条約、包括的核実験禁止条約、戦略兵器削減条約など核を減らす様々な条約、交渉がされてきた。至極当然、良識的なアプローチではあるけど、核のない世界には程遠い現実がある。なぜなくせないのか。アメリカもロシアも核兵器がないほうがいいのは分かっているけど、1発でも相手が持っていれば自分も持つしかない。冷戦もとっくの昔に終わり、お互いを攻撃することなどほとんどないにも関わらずだ。
この本では完全な核兵器廃絶が最終的な着地点ではあるけど、その道筋ははっきりとしめせてはいない。現実的には核兵器の地上配備をやめ、潜水艦への搭載程度で抑止効果はあるだろうとしている。この本のタイトルは「核のボタン」だ。それには大きな意味があり、現状の核兵器が発射されるためのプロセスに大きな問題があるとしている。大統領が核のボタンを肌身離さず持ち歩いているわけではない。核兵器発射の指示を出せるように軍の側近がフットボールと呼ばれるカバンを持ち、付き従っている。指示を出せるのは議会でも国防大臣でもなく大統領ただ1人だ。他国からの核兵器の飛来を知らせる警報があれば数十分で打ち返す判断をしなければいけない。この大統領が1人で決めることと、警報下発射もやめるべきだと書いている。先制不使用を掲げる法律も必要で、ミサイル防衛システムも相手を刺激するだけだ。
今までに核兵器が発射される寸前だったことが数回あるという話は寒気がする。前述のように警報があれば大統領は打ち返す判断をしなければいけない。着弾して発射施設が破壊された後ではもはや何もできない。(これも潜水艦での迎撃なら警報下発射でなくとも問題ないと書かれている)もし、この警報が何らかのエラーだったら?サイバー攻撃の可能性もある。現在も非常に危うい状況にあるというのが現実だ。
多くはアメリカとロシアの問題ではあるのだけど、今後は中国もさらなる軍備拡充をはかってくる。日本は何をすべきなのか。オバマ政権時に核兵器の先制不使用宣言しようとしたのに反対したのは当時の安倍首相だ。北朝鮮への抑止力がなくなるのを恐れた結果なのだろうけど、逆に核兵器があることで緊張感を生んでいるともいえる。この本で何度も書かれているけど、アメリカは核がなくても通常戦力は強大であらゆることに対処できるのだ。北朝鮮や中国にしても、アメリカやロシアが核を放棄すれば持っている理由はなくなる。というわけで、橋渡し役などいうのではなく、核兵器廃絶を絶対条件にしてアクションを起こすべきだろう。まあ、私は軍すらいらず、武装解除したほうがいいと思っている脳内お花畑野郎なんですが。