完全なる雑記

2022年3月27日日曜日

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▽定期的にやってくる何も書くことが思いつかない日。月に何度かやってくるので厄介だ。そもそもなぜ毎日ブログを書いているのだろう。そんな取り決めを自分の中で作らないほうが中身のある記事を書けるかもしれない。いや、毎日のルーチンとしてやめてしまえば適当になってしまうのは目に見えている。私という人間はそもそも飽きっぽく長続きしない人間なのだ。それが毎日必ずすることを決めると不思議と続いていく。朝起きたらベランダに出て空の写真を一枚撮る。風呂から上がったら上半身のセルフポートレートを一枚撮る。武蔵野の写真も定点観測にして定期的に撮ることにしたからこそ10年以上続けられている気がする。新しい場所や、瞬間的な美しさを狙っていたら続かなかったかもしれない。空とセルフポートレートも10年以上続けられてきた。まあ、だからなんだという話ではある。誰かに望まれていることではなく、自発的なただの衝動でしかない。自己認識というか自己確認というか、何もしなければ何もない人間なので、自分が生きていることへ承認を与える作業ともいえる。空の写真は先日の埼玉県立近代美術館での企画展で活用できたし、武蔵野は定期的に発表できている。さて、セルフポートレートはどうなるか。10年以上の毎日の自分のセルフポートレートというのは見て気持ちのいいものではない。けれど、それだけの期間、人間を毎日撮ることができるとすれば自分に対してだけかもしれないし、他人のそうした写真を見てみたい気持ちがある。会った人にセルフポートレートを撮ることを薦めてみても誰も始めてくれないのは少し寂しい。スマートフォンで気軽に撮れるので自分史として、もしくは10年も続ければ作品として面白くなるはずなので皆様も始めてみませんか?


一つ書くことがあるとすれば26日はアースアワーだった。これは世界自然保護基金、いわゆるWWFの呼びかけによって、3月の最終土曜日の20時半から1時間電気を消そうという国際的なキャンペーン。これで電力消費が抑えようということではなく、一種の啓蒙活動なのだと思う。誰も見ているわけでもないのだけど、私もアースアワーに参加した。どうせならと夕方から夜になっても電気を点けずにじっとしていた。意味があるのかというとあまり意味はないのかもしれない。とはいえ、折に触れて地球はピンチなんだと訴えていかなければいけない。こうして書くきっかけになったのでアースアワーにはやはり意味があるのだと思う。

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