▽昨日二十四節気の話の中で旧暦に触れたのだけど、ツイッターのフォロワーさんから教えてもらったことが興味深かった。まず、何も1月1日だけが新月ではないらしい。旧暦のカレンダーを見ていくと、2月も3月も4月もすべて1日が新月になっている。なるほど、二十四節気が太陽の動きに合わせているように、旧暦は新月を起点に考えられているようだ。月の動きというのは一定なので、ひと月の日数は同じかと思いきや、29日と30日の月がある。それで微妙に調整して1日を新月に合わせているのでしょう。
1日というのは「ついたち」と読む。これも意味があると教えてもらったので調べてみると「月立ち」が変化して「ついたち」になったようだ。月が立つというのは新月から満月に向かって少しずつ明るくなっていくことから、新しく始まる、立つという言葉が当てられていると思われる。何気なく使っている言葉も何らかしらの意味があるというのは、よくよく考えてみると当たり前のことだ。こうしてブログを書いているくらいなので言葉は大事にしたい。
旧暦がどういうものかを知ると、新暦に変わってしまったことが残念に思えてくる。暦が月と連動しているということは、今のように様々なツールがない時代には便利だったに違いない。太陽の位置で季節を知り、月の満ち欠けで日にちを知る。太陽を神格化させたアマテラス、月を神格化させたツクヨミ。アニミズムから神道、現代においても信仰を続けている日本人ならではの感性だ。
そんなことを考えたからなのか、ふいにお参りしたくなったので、貯金箱にあった五円玉を集めて近所の浅間神社に行ってきた。いわゆる初詣。荒幡富士の麓にあるくらいの神社なので、残念ながら太陽や月とは関係ない。けれど、神社は太陽の位置を考えて方向や場所が決められていると本で読んだことがある。この浅間神社もそうなのだろうか。