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2022年1月11日火曜日

空を眺めることが娯楽になると素晴らしいと思う話


▽最近は空の話ばかりしているような気がするけど、外を見たら雲が適度にかかっていてダイナミックな夕日が見られるかもしれないと思いカメラを持って出かけた。バイクを出さなければいけないのが難点だけど、多摩湖や狭山湖という選択肢もある。多摩湖なら15分もかからないけど、やはり歩くのがいい。いつもの場所で自分の住んでいる地域を見下ろす。空の方は雲が多くて太陽は見えなかった。期待していたよりは少し地味だったけど、こうして沈む夕日、刻一刻と変わる色、雲、そして夜になっていく空を眺めるのは豊かな時間だ。


毎日空の写真を撮っているのは最近触れているので熱心な読者の方なら知っていると思うけど、空の写真を撮る意味が元々なかったわけではない。そうはいいつつ深い意味があるわけではないのだけど「空を見上げる」をタイトルにしていた。忙しい日常の中でふっと空を見上げると心が少し晴れますよ、そのくらいの余裕を持って生きましょうよ、くらいのゆるい思い。毎日空を撮ることは10年以上続け、この日のように良さそうな夕日ならいそいそとカメラを持って出かける。ルーティーン的な部分はあるのだけど、十分空を楽しんできて今も楽しんでいるとは思う。


変化があったとするなら途中で川瀬巴水の浮世絵を見た影響があるかもしれない。その作品で老人が子供と夕日を眺めている1枚があり、1日の終りの楽しみとして夕日を眺めるというのはとても豊かなことだと思った。そして素晴らしく環境に優しい。それは危機的な地球環境にあることに警鐘を鳴らしている自分にとってもフィットする。世の中の派手で豪奢な娯楽からただ空を眺めるという娯楽に多くの人がシフトすれば、カーボンニュートラルな社会に近づくはずだ。たかが空の写真から大げさな気がしないでもないが、それを表現に変えていくのが作家の仕事である。まあ、私はただ写真を撮って空を眺めるのが好きな人ですが。