▽岩波ブックレットというシリーズを見かけたことはありつつ、ちゃんと読んだことはなかった気がする。サイズ的には新書より大きいA5サイズではあるけれど、100ページもない場合が多いらしくかなり薄っぺらい。内容的にも物足りないんじゃないかと思ってしまっていた。シリーズとしては1000冊を越え、反核を主題にした第一冊目から社会問題に切り込み、ファクトを意識して提供しようとする姿勢は注目に値する。薄っぺらい印象を持っていて申し訳ない限りだけど、「はじめの一歩、初めの一冊」が当初のキャッチフレーズだったそうなので、テーマが重厚でも気負わず読むにはちょうどいいシリーズだ。
今回読んだのはそんな岩波ブックレットシリーズの永幡嘉之さんの「里山危機 東北からの報告」。フォトレポートという文字がある通り、写真が豊富で印刷も悪くない。著者の永幡さんは動植物を調査し、絶滅危惧種の保全を実践的に取り組む写真家でもある。私も里山とされていた雑木林を撮り、環境の変化を危惧する人間なので、終始興味深く読むことができた。
里山という言葉は広く知られるようになっている。「里山とされていた雑木林」を撮っていると書いたのは、多くは過去のものとなりつつあるからだ。私が住んでいる埼玉県の所沢では東京に近いということもあり自然自体が大きく失われ、保全の動きはありつつ今も少しずつなくなっている。この本で語られるのは東北で、主に山形県なので所沢含めた武蔵野、関東とは環境が違う。豊かな自然、里山との生活がありそうなものだけど、やはりタイトルの通り危機が訪れているらしい。
ウィキペディア先生によると里山は「集落、人里に隣接した結果、人間の影響を受けた生態系が存在する山をいう」ということになっている。これは明らかに自然の山とは違い、人間が生活のために積極的に関与していった結果に出来る生態系であり、都合のよく改変した環境なのかもしれない。けれど、何百年と里山として維持してきたことで、そこに適した生態系が出来上がった。それがエネルギーとして薪や炭を得ることはなくなり、落ち葉を集めて堆肥にすることも、食料を積極的に得ることもなくなっている。ありのままの自然に還ることは悪いことではないのかもしれないけど、今ある何百年と続いてきた生態系は崩れてしまう。ある意味環境破壊といえる。
私は土地柄や世代的に里山を実際にどう活用していたのか見てきたわけではない。本や話で聞くくらいで、実際に里山として暮らしに取り込もうとした時に分からないことばかりだ。この本で紹介されている東北の里山は田んぼや溜池があり、火入れ、焼き畑など武蔵野とは違う環境で活用のされ方がされている。里山の生態系が失われるのと同時に、里山を最大限に利用する技術も失われてゆく。地球温暖化、気候変動に抗うには里山を里山として利用していくことが非常に重要になってくるのではないか。ただ自然を守るだけのフェーズから変わりつつある、いや、変わらなければいけないと思った。