狂気のプーチンによる悪夢のまっただ中に普通を慈しむ

2022年3月7日月曜日

戦争

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▽AERAをペラペラと読んでいると同志社大学大学院教授の浜矩子さんのコラムのある言葉に目が留まった。なにやらアガサ・クリスティの小説「杉の柩」の冒頭に出てくる一節らしい。

悪夢のまっただなかにいる時、頼りになるのは普通なものだけだ

なるほど、アガサ・クリスティの小説は一度も読んだことがないのだけど、このような名言が書かれているのなら読んでみたくもなる。悪夢のまっただなかというと、浜矩子さんも書いていたし、皆さんも思い浮かべるのは、今だろう。現在進行系でロシアはウクライナに侵攻し、多くの死傷者が日々発生している。プーチン大統領率いるロシア軍は民間人、民間施設への攻撃だけでなく、核兵器の使用をちらつかせたり、原子力発電所への攻撃、さらには性的暴行をはたらいているという報道もあった。

ここ日本では普通に暮らせていることが当たり前のような気がしてしまう。現にウクライナのことは逐一報道はされつつも、遠い国の出来事のようにも思える。ただ、世界中どこにいても、もう普通に暮らせることの確証はない。無茶苦茶な理由で他国を侵略することが物語の世界だけのことではなくなってしまった。狂気にとりつかれたプーチンの矛先は西側諸国と歩調を合わせ、経済制裁に踏み切っている日本に向くかもしれない。経済制裁は宣戦布告と同じだという強気の発言をプーチンは口にしている。アイヌ民族はロシアの先住民族だというのなら北海道に進行する理由になってしまう。恐ろしい話だ。ウクライナを占領した後、これで侵攻が終わるとは限らない。こじれにこじれてアメリカやNATOが参戦すれば世界大戦の始まりだ。核兵器の撃ち合いにでもなれば地球は終わる。極東に目を向けると、中国と台湾の関係も悪化しているし、どさくさに紛れて北朝鮮はミサイルの発射実験を行った。

普通が愛しい。普通がいかに大事な存在だったか。狂気に満ちたプーチンの悪夢から我々は覚めることができるのだろうか。不安と恐怖に押し潰れることなく、普通の精神を保っていきたい。普通の世界を守るために、普通の精神を保つことがとても大事だ。
 

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