本橋成一「新版 屠場」を読む

2021年11月21日日曜日

写真集 読書感想文

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▽本橋成一さんの写真集を見るのは炭鉱を写したシリーズから2冊目。どちらもその対象が今はなくなってしまったものなのでとても貴重な写真といえる。とはいえ、ただの記録写真としての価値かというとそんなことはない。本橋成一という稀有な写真家が作品として結実させたことに意味がある。見事に屠場を写し撮っているのだ。

ところで屠場(とじょう)とはどういう場所なのだろう。言葉だけだとイメージが沸かないかもしれないけれど写真を見れば一目瞭然で、食肉を処理、解体する場所が屠場だ。私は自給自足を夢見ているので、鶏や家畜を食べるために「屠殺」するなんていう言葉は本や記事でよく目にするけれど、やはり一般人には縁遠いし、現場に立ち会ったこともない。テレビで屠場や屠殺する瞬間を見ることもあまりないはずだ。かなりえげつない光景になるので、多くのクレームが寄せられると思われる。何かの映画かインターネットの動画で見たことがあるけど、目を背けたくなるような映像だった。

とはいえ、そういうあまり見たくない、知りたくない現実に蓋をしてスーパーに並ぶ肉を無感情に買ったり、肉料理を食べることも健全とは思えない。我々の代わりに誰かが動物を殺し、血まみれになりながら処理してくれているのだ。かつてはそうして働く人を差別の対象にしたらしい。そのような状況の中で本橋成一が大阪の屠場で撮影を行うことは困難が伴ったと思う。おそらくはすべての人に歓迎されたわけではないだろうし、トラブルもあったはずだ。何度も何度も足を運び、少しずつ信頼を得ていったと想像する。

この写真集で写されているのはやはり目を背けたくなる光景が多い。これがカラー写真でなくモノクロなことはそれを少しソフトにしている。血や肉、内蔵、死にゆく牛、死を迎えた牛、捌かれる牛。残酷でスプラッターな現場なのだけど、誰かがそうしてくれることで、動物が命を捧げてくれるから我々は肉を美味しく食べられているのだ。何度でも言いたい。そして活き活きと誇りを持って屠場で働く人々が写し出されている。これはやはり本橋だけにしか撮れなかった姿だろう。

我々は日常的に、享楽的に肉を食べていていいのか。この写真集は何かのメッセージを押し付けるような意図はおそらくないけれど、自発的にいろいろと考えさせられる。見て嫌な気分になる人もおそらく多い。けれどやはり目を背けてはいけないことだ。強くこの「屠場」を見ることを勧めたい。

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