アフター6ジャンクションが写真集の話をしていたので便乗する

2021年9月24日金曜日

ラジオ 写真

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▽いつものようにラジオを聞いていると、日本の写真集文化の特異性みたいなことをテーマに話していた。その番組はTBSラジオのカルチャーに的を絞ったアフター6ジャンクション。前までこの時間はTOKYOFMを聞いていたのだけど、面倒くさいので平日は昼から晩までずっとTBSラジオにチューニングを合わせている。

個人的に細江英公で好きなのは三島由紀夫を撮った「薔薇刑」

私も写真を撮る人間なので写真集というのは避けては通れない一つの媒体だと思う。番組では日本での写真の成り立ちや、貴重な写真集をピックアップして紹介していて、その一つがこの細江英公の鎌鼬。商売的に難しいのだろうけど、過去の素晴らしい写真集は復刊してほしい。番組では他に奈良原一高、川田喜久治の写真集もレア写真集として紹介されていた。この写真家たちでピンとくる人は結構なマニアだろう。写真家集団「VIVO」である。彼らの中で私が好きなのは東松照明で名古屋まで回顧展を見に行ったことがある。

東松照明クラスの巨匠でも新品で買える写真集は少ない

私はどうしてもオリジナルの「写真プリント」を見たくなってしまうのだけど、写真集というのも嫌いではない。番組でも語られていたけど日本の写真集文化は独特だ。海外ではカタログ、ポートフォリオ的な意味合いが強いような気がするけど、日本の場合は表現の一つとして好まれている。その要因は写真がアートとして受け入れられるのが遅かったことと、そもそもアート自体が海外のような受け入れ方をされていないということがあると思う。アート作品を買うという文化はなかなか浸透しなかった。それとアサヒカメラや日本カメラのような写真雑誌が古くから出版されていたことも影響しているかもしれない。

牛腸茂雄の写真集を買えるようにしてほしいと切に願っている

写真集というのは音楽で例えるならいわばCDのようなものだ。単純に比較はできないけど、ライブやコンサートが写真展にあたる。どちらがいいかというのは表現者と受け入れる側、それぞれだろう。写真集もお金を稼ぐことだけが目的の場合もあるだろうし、作品という位置づけで作られる場合もあり千差万別だ。私も表現手段として写真集が有効なら作ってみたいけれど、売れていない人間にはハードルが高い。いや、森山大道やアラーキーでも写真で食べていくのは大変なことなのだ。

180年におよぶ日本の写真の歴史の中でおさえておきたい写真集や、その見方、読み方、世界的に見てもクオリティーの高さは圧倒的なニッポンの写真集の魅力を、共著『写真集の本 明治〜2000年代までの日本の写真集 662』が まもなく刊行される、美術史、写真史の評論家「打林俊」さんに伺いします! (20:03~20:43頃)

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